【作品論考 Artistic Discourse】空(くう)と間(ま)|Jun-Jul 2025


2025.7.18 大越智哉 / Tomoya Okoshi

空(くう)と間(ま)

—視覚と時間の構造としての支持体—

「支持体はただの構造体ではなく、視覚と時間のフレームである」

この言葉は、私の作品に通底する空間哲学を端的に示している。私が探求しているのは、絵画がもはや「描かれたものを鑑賞する対象」ではなく、空間そのものを再構成する装置として機能し得るのかという問いである。そこでは、支持体はもはや背景ではなく、「見るという行為」を組織する時間と空間の構造体となる。

「間」とは何か。

日本の建築や庭園、工芸において、「間(ま)」は単なる空白や余白ではない。そこには、視線の動きや身体の位置、そして時間の流れといった非物質的な要素が織り込まれている。たとえば、伝統的な日本家屋において、部屋と部屋をつなぐ縁側や障子といった構造は、空間を閉じるのではなく「開かれた曖昧さ」を保つ装置である。

この「間」には明確な中身が存在しない。すべてが等価に配置され、静かに呼吸している。そこには非中心性という空間感覚が宿っており、それは西洋的な遠近法や一点透視の論理とは異なる空間哲学を形成している。

“Fragment” 耽蕾寓鳴円永 / 2025
Acrylic on cotton mounted on styrofoam

ステラの形式と東洋的構成の交差

私の作品では、この「間」の概念をフランク・ステラのシェイプド・キャンバスと交差させることで、支持体を再定義している。ステラが問い直したのは「絵画の枠」だった。彼のキャンバスは矩形を超え、空間へとせり出し、彫刻と絵画の境界を曖昧にした。

私はそこに日本建築の「間」の思想と重ね合わせ、絵画の支持体を「時間と視線の流れを内包する構造体」として扱っている。私の作品は空間の中に存在するだけでなく、空間そのものを読み替える行為でもある。作品を前にした鑑賞者の身体的移動、視線の方向、滞在する時間の長さによって、その意味は少しずつ変容していく。

 ミニマリズムと「沈黙を感じる」構成

西洋ミニマリズムが「何も表現しないこと」によって視覚の純化を目指したように、東洋的な構成美は「沈黙を感じさせること」によって精神性を浮かび上がらせてきた。

私の作品もまた、この二つの視覚思想の交差点に位置している。具体的なモチーフを描かず、構造と空白のバランスの中で、見るという行為そのものを再起動させようとしている。それは、ドナルド・ジャッドの箱型彫刻に見られるような空間的純粋性に呼応しながらも、どこかで「間」の揺らぎを孕んでいる。日本的な「静けさ」や「気配」「非対称性」が、ミニマルな構造体に滲み出す瞬間を大切にしている。

視覚・時間・構造の交差点

私の作品において、構造体は単なるフレームではない。それは、視線の軌道を限定し、時間の流れを操作するインターフェースである。たとえば、作品が脱中心化され、見るものの視線が、一部に注視されるのではなく、空中に浮揚する構造をとることで、「見ることの時間性」を意識させる。その時間性は、静止した絵画の中で流動する「空(くう)」そのものである。

この「空」は、仏教的な空無の概念とはやや異なり、何かを包み込み、待ち、変化を受け入れる潜在的な状態を指す。物と物の間、音と音の間、そして見る者と作品の間——そこに漂う「空気」こそが、空間としての支持体を活性化させる鍵となる。

“Fragment” 耽蕾寓鳴円永 / 2025
Acrylic on cotton mounted on styrofoam

空間と身体 : 動きによって立ち上がる意味

鑑賞者の身体の動きもまた、私の作品の一部である。作品の角度を変えて眺めたり、近づいたり離れたりすることで、構造の中に含まれた視覚的な「罠」や「遅延」に気づくことがある。見るという行為が受動的ではなく、能動的な時間体験に変わる。それこそが、私が目指している「支持体の詩学」である。

そこでは、線や面が持つ意味は固定されず、見るたびに、あるいは別の視点から見ることで、別の相を立ち上げる。作品の陰影や切断面、素材の微妙な反射といった要素が、建築的モチーフとして機能し、空間の「構造」を可視化していく。

「空間の仕組みを視覚化する絵画」へ

私は、絵画という形式の中で、「空間の仕組みそのものを視覚化すること」を目指している。それは、装飾的な意味でも、記号的な意味でもなく、空間と知覚の関係に根差した実践である。

その意味で、私の作品は「日本的な美学の輸出」ではない。むしろ、現代アートの空間哲学において、非西洋的な構成感覚や知覚論がどのように機能するかを問う試みである。空間と支持体、構造と身体性の新たな関係性を探ることで、絵画というメディアの未来を問い直していきたいと考えている。

“Fragment” 耽蕾寓鳴円永 / 2025
Acrylic on cotton mounted on styrofoam

最後に

空間は、単なる空白ではなく、「時間と視線が交差する場所」である。そして「間」は、その交錯を感じ取るための日本的な知覚装置である。私の作品を通して、観るものにも一瞬の沈黙や気配、そして動きの中に立ち上がる「空(くう)」の美学を、ほんの少しでも感じ取ってもらえたなら幸いである。

▪️筆者 
大越智哉 / Tomoya Okoshi

Visual Artist
視覚と空間を再構築し、支持体そのものを空間装置として探求・研究している。日本の「間」や気配、非中心性といった空間観や感性を現代美術に組み込み、身体的知覚を重視した表現を展開している。

※本記事および掲載作品の無断転載・複製・改変を禁止します。著作権は著者に帰属します。