【半年記事 Biannual Roundup】積み重ねの先にあるもの|2025年前半

1月から6月までは、自分にとって大きな変革の時期だった。たくさん実験し、やりたいことを追求し、非常に学びの多い時期だった。1つのことを追究するには、その背後に膨大な実験の数々と日々の積み重ねがある。ドローイングを沢山し自分の過去に向き合いどんどんピュアになった自分を見つめたり、自分の精神的な部分を深く見つめ直して言語化を繰り返したり、今年の1月から3月くらいまでは実験的に細かい作業を無数に繰り返した。それは今までの自分を再解釈し、次へ進むための必要なステップだったと後々感じている。その時は、それしか考えられずにずっとこういうことを続けていくんだと言う思いがあったが、そういう制作の作業の繰り返しも、3ヶ月ぐらいしたら終わりを迎えた。自分は常に、変化し続けるものなんだとつくづく実感する。むしろ変化していないときの方が、自分にとって不自然で、これまでずっとそうだったかもしれない。

3月から5月くらいまで、自分の関心は、ドローイングから抽象表現主義へと移った。なんらかの対象を純粋化させそこに自分を重ねるのではなく、見えないものの中にこそ、何かがあると言うふうに考え方がシフトしていったからだ。何かが現れないうちに描いていく中で、見えてくるものがあると信じていた。その行為の蓄積により発見したことや体感したことは結果として、その後に制作し始める作品にも生きることになった。抽象表現主義とミニマリズムは異なる主義主張を持った運動だが、時代の移り変わりは常に有機的なはずで、自分自身も、その追体験をしているような感覚になったので、その2つの潮流をとてもよく理解したと思っている。より良い作品ができると、それよりも前に作ったものに対する関心は失われる。しかし良い作品は強固なまま存在していて、なかなか長い時間に晒されても、もともとあったかのように存在する。自分は良い積み重ねによって前に前進し続けるような、常に制作過程のような作品が作れれば良いなと今も思っている。

6月以降に集中的に関心を持ったミニマリズムは、大学院時代に追求していたことでは成し遂げられなかったことができているように思う。大学院修了時から1年半が経ったが、だいぶ遠回りして、その延長から再スタートを切ることができた気分になっている。それはほんとに嬉しいことで、紆余曲折あっても、自分のやってる事の根本は変わらないんだと改めて感じた。大学時代とは違い、1人の力で何かを作ることの大変さと、1人でもそれを成し遂げられたと言う自分の実力を感じることができて、それはこれから制作する上での自信にもつながる。どんなに変化しても、新しいことを生み出し続けても、わからないままで自分の今やるべきことを追求していけば自分自身の最前線を感じることができる。これからも、ずっとそのような状態でありたいと願う。

2025.7.7 大越智哉 / Tomoya Okoshi