【作品論考 Artistic Discourse】詩的構造としての線|Aug 2025

2025.7.26 大越智哉 / Tomoya Okoshi

詩的構造としての線

一本の線が紡ぐのは、不可視の存在の輪郭。その線には、無限の想いと可能性が宿っている。そこに詰まった歴史や、人間としての太古からの鼓動が、脈々と、受け継がれてきた体の中から発散される。それはただの線ではない。身体の記録であり、未来への意志そのもの。目には見えなくとも、その線は語りかける。過去と現在、そして未来をつなぐ、見えない意思のかたちである。線が生まれるたびに、人はまた、新たな物語を紡ぎ出す。

その線は、単なる描写ではなく、関係の起点であり、時間の断面である。形態はもはや静的な背景ではなく、線とともに呼吸し、見る者の身体と対話しながら、空間知覚のあり方に作用する。そこにあるのは、描かれたものではなく、見えない構造の可視化である。それは、境界面として機能し、内と外、意識と無意識を揺らがせる。「間」としての余白、「ずれ」としての構造の中で、ドローイングは、時間の流れを内包する場づくりとして空間と交差し、詩的装置へと変容していく。

それは、見るという行為を少しずつに揺さぶりながら、一義的な解釈を拒み、開かれた意味の地平を拓いてゆく。世界の見え方そのものを書き換える、一本の線の力によって。

この線が刻む空間は単なる物理的な場ではなく、文化的な記憶と歴史が織り込まれた詩的な場である。そこにはこれまでの人々の想いや営みが層となって蓄積されており、線を通してその重層的な時間と繋がることが可能となる。空間は静止しているように見えて、実は過去と未来を結ぶ媒介であり、見る者がその記憶に触れ、共鳴し、対話することができる。こうして線と空間は、ただの形態を超え、見えない意思や感情を受け継ぎながら、詩性を帯びた生きた装置へと昇華するのだ。

“Fragment” 耽蕾寓鳴円永 / 2025
Acrylic on cotton mounted on styrofoam

▪️筆者 
大越智哉 / Tomoya Okoshi

Visual Artist
視覚と空間を再構築し、支持体そのものを空間装置として探求・研究している。日本の「間」や気配、非中心性といった空間観や感性を現代美術に組み込み、身体的知覚を重視した表現を展開している。

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