自分は枠に当てはまらないというよりも
いろんな能力とかいろんなスキルを身に付けることを
続けていきたいし、その姿勢は昔と今では変わらないから、
まずその枠を’知った上で枠に当てはまらない’っていうことだと思う。
だから実は最初は満遍なくいろんなことを身に付けて
それが徐々に’まとまってきて、枠に当てはまらなく’なってくるんだと思う。
やっぱり、自分は1つの事を集中的にやる人間だから、
例えば文章にハマったら文章になるとか。
そうだよ。だって枠にはまらないっていうのは、
その枠を知っているからこそ、その比較ができる視点を持つわけで。
歌って書道だってそうでしょう。
基本がなっていなければ、行書や草書も真似をしたのと同じ。
枠から外れるっていうのは、基礎があるからこその風格を
重視することだっていう教訓は、幼い頃から今も続けている
書道から学んだことの一つでもある。
でも、その枠が外れない人もいるんだよ。
基礎から外れたくても、むしろ枠から外れない人の方が多い。
だから、その枠から外れた人が目立つの。
その枠にはまった上で表現活動を続けていって
その枠の中で誰よりも上手くなっていく人もいるけれど
それってすごい難しいことだと思うし、
枠から外れようとしても、その人はそれに向いてなかったんだろうね。
でもそもそも最初から外れようとしないで、枠の中に収まることの方が
どうなんだろうって自分は思う。
勿論、人それぞれだし色んな人がいるけれど、自分は自由を目指してきた
ところも大きな割合を占めていることもあり。
一回挑戦してみないと、枠から外れるっていうことが
向いてるか向いてないのかもわからない。
それでも結局は、枠から外れないっていう選択をした人は
その人にとっても心地よければ良いことだと思うので、
自分が何か言うことじゃないしね。
自分はその枠のなかを知った上で、やっぱり枠が
自分には向いてなくてなんか窮屈だと思うし
もっと自由に新しい表現とか自分だけの気づきみたいなもの、
自分の経験を生かして追求するタイプで。
逆に枠をもっと知りたいというか笑
でもなんだろう、それでも頑張って枠を少しでも
意識し続けないといけないと思っている。
自分の場合は、
‘自由だと、すごいぐちゃぐちゃになってしまうから枠が必要になる。’
やっぱり結局自分の生き方。皆んなそうなのだから、
結局作品作りと自分の生き方は一緒で、自分の性質そのものが
作品制作にそういう風に表れていくんだよ。
自分の向き不向きというのか。
やっぱり’自分なりに’追究していくことがよくて
別にそれは作品の技術的な枠っていう話を超えて、
制作スタイルとか明日の活動スタイルっていうのも
‘どれだけ自分らしくなっていけるか’っていうところだし、
なんかやっぱり自分なりの部分を見つけたりすることが
重要だと思うし、自分に向き合う時間がすごい大事なんだよね。