大人の感性、子供の心で作りたい(3)

作品とともに成長する

人間関係や色んな出来事が影響しあって

自分が大人になれたのだから、その大人の心を持ってみれば今になって

人との対話を通して成長して「色んなこと」が感じられるようになったんだなって思う。

でもだからこそそういうものこそ、子供の純粋さを持って表現できたときに

より深度のある作品になるのかもしれない。自分はそう思っている。

でも簡単に自分の中の大人と子供とでは分かれているわけではなくて、

実際はすごく密接に結びついていて、自分の幼さというのもまだまだ感じている。

だからこそ、他者とのコミュニケーションによって未知のものが垣間見れたときに、

新しい自分にも気づける余地が残されているんだなっていつも思う。

たくさん子供と大人の自分について書いてきましたが、作品と自分は影響しあって、

そして人とのつながりや出会いを通して、成長していきたいと思う。

「作品には今が刻み込まれる」から、もちろん成長の証も刻まれるのかもしれない。

でも成長はしているが、その時に伝えたい何かと言うのは昔と今では比較するものではないと思うし

比較できないものだなぁって感じる。その時にしか書けない何かがやっぱりあるんだよね。

自分は昔は作品を作ることが楽しくて、ずっと作品を作っていて

作品を作ることがもはや生きることに直結していたように思うけれど、

「それ以外に興味を持ったことだったり、自分が美術以外で興味を抱くこと」こそが重要なんだなって

思ったのは、割と最近のこと。もっともっと早くに気がつけば良かったと思う時がある。

でも今になって気づいたからこそ、水を得た魚のように、

今までの枠から外れて新たな視点で生きられている実感を得ている。

それが楽しくて、そういうものこそ生かして今は作品を制作しているし、

今まで培ってきた表現力を生かして、今までに経験してこなかった様々な出来事を

これからドローイングに描いていくことは、本当にやっぱり楽しいことだなと思う。

そうやって経験を「ドローイングを通して咀嚼している」っていうことを自分は無自覚にやっていた。

こうやって書いて今に気づくまで。そういえば、思い返すと今までのDrawningを思い返すと、

その時の興味や関心が乗り移ったかのように表現されていることがほとんどだった。

でも、今のドローイングは昔に比べるとより自由になってより人間的になっているんじゃないかなと思う。

それはドローイングもそうだし、今の自分もそういうことだって感じた。

本当にそのままだと思う。やっぱりドローイングを通して見ても

作品と自分は直結していて、一緒に成長してきたんだって言う風に思う。

これからもそう。紙とペンさえあれば言葉がなかったとしても、今の自分が投影できる。

もちろん、こうやって言葉を通して伝えていくことも本当に大切なことだと思っている。

自分の頭の中が今の自分の等身大であり、ありのままの自分は絵だと本当に偽りなく表れるものだね。

もっと自分は大人の壁を取り除いたときにもっと自由な表現ができるのだろうか。

これから今に想像していない、たくさんのことを興味を持って表現していくんだろうと思うと、

好奇心で満たされた気持ちになる。