なかなか話したいことに到達しない

なかなか、本当に話したいことに到達しない笑

なんでなのかな。

自分の頭の中にどんなものが溢れていて

これから「何かを伝えていかなきゃいけない」って言うことの前に、

「なんで伝えていくべきか」とか

「なんで残さなきゃいけないのか」っていう思いもたくさんある。

だから、やっぱり話し始める前段階として

いっぱい何かを持っていることがあるからこそ、

書きたいと思うわけで。

だって、ブログをいきなり始める人とか

伝えたいことがあると思って伝える人もいっぱいいると思うんだけど、

いきなり伝え始める人も何らかの動機を持って伝えてる。

その動機を含めて、自分は発信したい。

今の時代に残すことの価値とか、

自分がその時に経験してきたことってすごい大切にしているし。

今まで発信していることを作品を通して、

今までは発信することに、命をかけてきたからこそ

文章も同じようになんですが、

発信したいって言う思いもたくさんある。

だから、発信する媒体を問わないで

自分にとっては作品と同じような考え方なんだよね。

だから、これから文書でいっぱい書いていきたいし

いっぱい何か感じたことを共有していきたいと思う。

そういうやりとりは今まで一方的だったから

なかなか少ない場面だったと思う。

あと、文章については

SNSでたまに精神的なことを言っていたけれど、

今まで読んでくれていた方の感想で、すごく共感してくれたり

発信していた文書に対して、結構実際にその方に会うと

こういう文章をもっと読みたいと思ってくれる方もいてくれたり。

「なんでか」とか「どうしてなのか」とかいう風に自分の気持ちに対して

もっと向き合って考えるっていうことを自分はたくさんやってきたし

それは作品を通して多くの時間を費やしてきたことだけれど、

作品を通してじゃなくてもそういうことがたまに表れる文章で

共感してくれてたんだと思う。

自分の知らないところで。

だから逆にいうとなんで、色んな自分に対して

深いところで考えるっていうことや言葉にするということを

できないのかなと思うことがある。情報が多すぎるんだよね、多分。

向き合う前に、それに流されやすい時代になっているんだと思う。

考えるって言うと何かあたかも理論とか将来のことて言う風に

思っちゃうけど、でも「自分に向き合って自分自信を分かろう」としたり

自分に入ってきたものを細かく分解して、

これは「何の影響からなんだろう」とかって言うふうに

考えたときに自分がわかるし、それがわかったときに

ここからここは自分で、ここまでは

自分じゃないって言うことも何となくわかってくる。

そうなったときに活かせるんだよね。

経験や知識として。それは自分だけのものになるし

自分の体験に根ざしてる存在。

でも、そういうものってなかなか発表する機会もないし。

もしかしたら、生きるための糧にしてくれる方もいるかもしれない。

自分がすごいこうやって書いていて楽しいし、

だから、みんなも向き合ってほしいなって思う。