地元福島と東京の往来が、色合いに影響されていった

自然の中で生まれて東京でより自分の能力が発揮されて

自分の周りにはなかった経験をしたからこそ、

その上でもう一回、自然の中に戻ってくれば

自分のことをもっとわかった上で地元にいることになる。

それって昔は自分のことがわからなくて。

自然の中にいたわけだけど、昔は違ったんだよね。

地方の自然のなかに戻って住むというのは

また自分のことがわからなくなりそうなことがあっても

今までの記憶も引き出されて、あれってこうだったんだなっていう風に見れるし、

人間的に成長した上で過去を振り返ってみると

すごく、’あの時はああいう感じだったんだ’とか、

’あの時のその景色とか感情って美しいものだったんだな’って

本当にわかる。その気づきは大事なこと。

やっぱり都会の中で過ごすということは、自分の能力を

多方面で発揮するのに適しているから、

逆に自分の活動を通して自分を知る機会でもあるんだなと。

まだ、消化しきれていない部分もあるが、

自分を客観視できたんだと思う。

その先にあるのは、元に戻るっていうことじゃなくて

より進化し続けていくっていうこと。

場所は元に戻り、今まで自分が経験したことも積み重なってきた。

自分の原点の場所なわけだから何となく深みが違うんだと思う。

これはなんていうか、経験が「色合い」に表れる気がする。

でも、自分に根差した色合いは変わらないと思う。

美大受験の予備校時代には、色彩のセンスが良いですねって言われたりしてきて

でも、その時はあまり’自分ならではの色’っていうのはなかったんだけど、

でも今はある。

そう。’これは自分の色合い’という色合いが自分のなかにはあって、

それがどのように伝わっているのかどうかは、感想を言ってくださる方から

知る機会が今ではできて本当に嬉しく思っている。

それってやっぱり、東京とか福島で経験してきたことの影響だと思うんだよね。

自分にとって、美大受験予備校時代の色合いは自分ならではじゃなくて、

美しいだけというのは基礎をわかっているからこそ整うって言うことだったり

調和だったりするものなんだけど、そうじゃないと思う。

色んなことを学んだ知識としての調和とかバランスとかではなくて

そこに’自分ならではの色合い’か何かはわからないけれど、

それが無意識的に付け加えられるっていうのは

きっと、さっき言ったような地元と東京の往来の経験が生きているんだなって思う。

自分のことがわかんないと自分なりの色合いって出てこないもので、

それと、いろんな作品を見たりいろんな人との交流をしてきたからこそ

自分の色合いがわかる。それってほとんどは人間関係の話なのかなって思った。

人間関係においても自分が何を取捨選択したり、何かをわかってほしいって思ったり。

そういうものがわかるようになることと、

色合いがわかってくることでは多分共通しているんだよ。

そう、だからやっぱり学生時代にはなかったこと。