自分の軸を持っているということが、
まず1番大事なことなんだと思う。
軸がぶれていたらすごい大変なことになるんだよね。
それは、紆余曲折のなかで実感したことでもあり、
でもいろいろ挑戦し続けることはとてもいいことでもあり。
ぶれていたら、本当にずっとぶれているままで終わりになってしまうし
その先もぶれたままで。それって自分がわかっていないということ。
それって、結局軸がないっていうことに等しいと思える。
自分は美大時代やアーティスト活動、作品制作や制作指導などを
通して自分が色々とわかってきたし、
それは形とか色合いにすごく出てるなと思う。
あとは表現の幅だったり。そして、いつも表現したいことがある。
環境が大事ってことに気が付いた。
先の話に戻るんだけど、
表現とか色合いが独自になるって言う事は
わかったからなんだと思う。なんか、その人なりのものが。
そう。それは自分そのものなんだと思う。
‘型’っていうのはその人なりの人格のようなものでなく
その人が作るからこういう作品になるって言うふうに、
その人がやっぱり’しっかり’していないと、とか思ったりして。
例えば犬を表現したい、植物表現したいって
なったときに自分がぶれてたらその犬やその植物を見て
同じ人が描いたようには見えない。
その人が、やっぱりその人なりの経験が、
たくさん実についていればいるほど、「この人が描いた子犬なんだ」とか
「この人が書いた植物なんだ」っていうふうに描けて
もうその人が描いたことの重みとか、経験が表れてくるんじゃないかな。
自分は、これからもっともっと’自分でいる’ことを
大切にして成長していきたいなと思う。
だからそれは勿論、その人の生き方とか人生が
作品にも結びついているということだと思うし、
自分はドローイングをしている時には特に
そういう意識になることがたくさんある。
でも、その状態をキープしておくっていうのがなかなか難しい。
精神状態と同じくらいに、体力をキープしておくことも。
精神状態を豊かに維持し続けられるほど
そんなに人間は強くないし、ずっと同じ精神状態だったら
やっぱり飽きがきそうだって思う笑。良くない精神状態も時としては良い。
精神状態も作品を作り続けたら全部作品に表れるから、
残しておいて、後で見たときに「あの時はだめだったなぁ」とか思うよね。
その作品を見れば「あの時こうだった」っていうことが
もう全部出てくるから、もう日記のようなもの。
だってその時の線を見れば体調が悪いとか、
体調が良くて「スムーズに頭の中のイメージが思いついたんだな」
っていうことがすごくわかるけど。
それでも精神状態を何とか維持していく。
維持していこうとする姿勢は、
もちろん誰にだって大切なこと。
いたって、普通のことだと思う。
辛さに押されそうになれば、
本来備わった力を十分に活かしきれないと思うから。
一人一人が、その人にしか伝えられないものが
きっとあると心の奥で信じているから。
そんなことで、どうか押し潰されないでほしい。
だから、結局作品を表現するっていうことよりも
先に、自分がどれだけ豊かに生きられるかっていうこと。