自然のある環境や、多くの画材に囲まれた生活をしていると
その全てを思う存分に生かしきれているのかどうか
わからなく時がある。
それは何かと言うと、逆に思う存分に描けている時は
体と心が満たされている時。
だから画材が少ないとか多いとかでは無い。
もちろん画材はいっぱいあるんだけど
そういうことよりも、
「自分が満たされている、
満たされていないか」という事が影響されて
充分に描けるようになるかどうかが決まるんだなって思った。
そうやって満たされている時は、無限に可能性が広がってきて
たくさんの色やカタチが思い浮かぶ。
その中からさまざまなものを掻い摘みたくなるけれど
何を掻い摘むのかはその時によって全然違う。
多分、日々の日常の出来事とか、絵を描いている前後とか
その時の人間関係とか、その時の季節、
そういうのものが影響されて
たくさん思いついた中から掻い摘むものが
変わってくるんだと感じている。
本当にイメージが思いつくときは、世界と繋がった気持ちになる。
そんな時は無限に描ける気持ちになって、でもなかなか全部描ききれなくて
だからこそもっと描こうとする。
それで、どんどん描くスピードが上がってきて
なんかより柔軟に描けるようになったときに、
もっともっと画材も欲しいなって思うしさ。
それで益々、’もっと表現するためにはどうすればいいのか’って言う気持ちに
切り替わっていく時がある。
調子が良くて色んなものが思い付いている時は
なんとなく「生きてる意味って何なんだろう」とか思ったり、
すごい自由な感じがする。
逆に調子が良くて何でも出来るような気持ちになっているからこそ
「なんでこんなに自由に生きてるんだろう」って思うのにね。
これって、大切なことなんじゃないかって感じている。
それは無限のイメージが思いついている身体の調子の良い時になる。
もう色んな物事が関係し合っていて、多分そのその境目というか
その結び目かどこかに、自分が存在しているんだなと思う。
それを想うと、やっぱり自分と自分以外で繋がっている何かが見えるからこそ
イメージが思いつくんだと思うし
そうやって溢れ出てきたものは、
「自分と今まで繋がってきた何か」でもあって
「これから繋がるであろうもの」だったり、「これから繋がりたい何か」という
気持ちも含んだ大きなものなんだなぁって感じる。