大人の感性、子供の心で作りたい(1)

大人の感性を持っていても、子供の心で作品を作りたいと思った。

それは、自分の目指すところでもあるし、大人って常識に縛られていったり

他の人と合わせようとしたり、社会性を身に付けようとしてそれが結果的に

創造的な活動をするときに障壁になるということは結構あるんじゃないかと思う。

色々なノイズが絡み合って大変。でも良いところと言うのは

大人は様々な人を見てきたからこその観察眼だったり受け入れる心があるところ。

引き出しがいっぱいあるんだと思う。

大人は人を見る目はあるけれど、どんどん子供心を忘れて

硬くなっていってしまうところがあって、すごくもったいないなと思う。

だって、その大人ならではの感性を子供の心も持ち合わせていたら最強なんだよね。

なんでかと言うと子供は感じたことを素直に表現したいし

縛られないで、自分らしく表現するから。

では、大人が繊細に感じたり、大人ならではの目線で捉えたことを

子供のように素直に伝えることができるのならば、子供の頃にはなかった

人間性とか深い部分も素直に表現できるようになるんじゃないかなって。

だから、子供のような純粋に描きたいっていう衝動だったり

「純粋にこれを表現していいんだ」っていう縛られない心を持ち続けていれば

切に伝えたいことはたくさんあるんじゃないかと思って。

だって、子供の頃は相手方に向かう理解する気持ちや共感の経験が少なかったことから、

感じられなかったことも大人は感じているわけで。

子供の時に感じられなかったことまで「子供のように制作したい」っていう衝動で

大人が何かを生み出したら、例えばすごく複雑なテーマでも

ストレートに伝わるようなものができてきそう。

自分の目指すところはそこにあるのかもしれない。

子供は柔軟性があって色んな意見を汲み取るけれど

言い換えればまだ価値観がすわってないからだなって思うし自分もそうだった。

だから一回自分なりの興味や色んな出来事を通して自分をわかっていくプロセスが

大事なんだって思うし、それが「大人になるっていうことなんだな」と感じている。

何回も大人と子供を繰り返していかないといけないんだな。

今までそういう局面に何回か直面してきて、「自分の中の子供は

元気なまま駆け回らせてあげ続けることも大事なことだ」って信じられる。