大人の感性、子供の心で作りたい(2)

続き。

大人の壁

一見、大人は純粋に感じたものを表現できると思うかもしれないけれど

なかなかそうはいかない。なんでかと言えば、プライドや防御したいという気持ちや

過去の体験が引き出されたり、受け入れられない。頑固さもあったり。

そういうものが純粋に感じたものにくっついてきて

感じたことをそのまま表現するのは難しいんだと思う。

自分自身の経験からそう思う。

だから子供の心を持って描くということは難しいし、目指したいこと。

ある意味では、大人の壁を取り除くと言うプロセスも、一周回って成長するのに

すごい大きなことだと思うし、自分にとっては自然治癒する過程でもあるんだなって思う。

純粋に感じたとしても、それをなかなか表現できない。いや普段は感じているんだけれど

それを表現するまでの壁が自分の中に作られてしまったっていうことなんだよね。

その壁を壊すには、やっぱり原点に立ち返ってたり、自然に触れたり

子供心に遊んでみたり、子供と接したりすることは大切なんじゃないかなって思う。

でもある意味。それは「怖いことでもある」のかもしれない。

ある時点から純粋さにあまりにも目を遠ざけて大人になって生きてきたから。

だから大人になって自分の純粋さや子供心を出すっていうのは

意外にも勇気のあることなんじゃないかな。

でもそうやって子供心を出していけるというのは、本当の意味での強さなんだと思う。

理論とかに縛られすぎて何もできなくなってしまうというのも、

そういうところから端を発しているんじゃないかなって思って。

だから、もっと言葉にならないようなものを見つめていきたい。

本当は「言葉で説明できるようなものではない」って言う風にいつも思って作品を制作している。

そういう点で見れば、子供心を持っていれば

言葉にできないものこそより感じられ易くなるんじゃないかなとも思う。

先入観を持たないでいたい。でも、自分なりの価値観や信念も持ち続けたい。

やっぱりそれって自分軸があってこそ、内側の大人も子供も共存して生きていられるんだと思う。

だって、どちらも自分っているには変わりないことだから。

子供は純粋に感じたことを表現できるけれど、大人は自分なりの感性を持っていて

大人が感じた事は、純粋に表現できる以上に感じたことと一緒に

その人なりの感性も含めて表現できるんだと思う。

でその人なりの感性というものは、今までの人生経験で培われてきたものだから

感じた事と一緒に生経験も一緒に純粋に表現できたときに、

きっと素晴らしい作品ができるんだと思う。

だからそういう作品を目指したいし、そういう作品が作れるように目指したい。

それっていい作品を作る以前に生き方やプライベートの行いのすべてを見直す必要があると思う。

本当は作品を作っている時だけではなくてそうではない時間に

どれだけ豊かな体験ができたかどうかで、感性が培われて。

それが作品に表れることなんだって改めて思った。

新郷土玩具シリーズの制作過程。着彩前の作品。撮影日 2024.3.3