いろんな仕方で情報発信をできる時代になったけれど、
みんなすごいスピードで作品とか、そのコンセプトとかを見たりしていて、
それって消耗してるんじゃないかな。それは、何かを作っている時や発信してる時は、
その人は命をかけているのかもしれないけれど、あまりにもその情報に溢れていて、
様々な人たちが凄いスピードでそういうのを見れるようになってしまったから、
それは消耗してることだと思った。
だから、もっと時間をかけて本当に伝えたいことっていうのは伝えないといけないと思うし、
言葉にして、受け継がれて残されるべきものが、
自分の中にはすごいあるし、そういうものに時間をかけて読んでみてほしいと思う。
今の時代にこそ必要な感性のようなものがあるんじゃないかって思う。
作品は自分の長い人生の中で滲み出てきたものだから本当は語り尽くせない。
見て終わったらまた違う情報に沢山触れてしまいがちな時代だけど、
でも作品や自分の中には、物語がたくさん含まれている。
発信していない物語もたくさん含まれていて、そういうものにこそ価値があると思ってるし、
もっとそれを時間をかけて自分も残していかなければいけないことだと思っている。
やっぱり作品には「何か」が含まれている。
だからアーティストは作品だけじゃなくて、
やっぱりその「何か」を文章でもそれを表現していくべきだし、
その文章の中にもその何かが含まれていて、やっぱ読んでる人は伝わるんだと思う。
向き合って初めてその表現したい何かだったり
自分が向き合うべき何かと言うものが徐々にわかってくるようになるんだと思う。
それを少しでも知ってもらった上で作品を見てもらったら
全然作品の見え方は全然、違ったものになる。
そう。逆にいうと、「何か」っていうのは自分でも知った気持ちに
なりがちだし、周りの人も、すぐにわかった気持ちになるんだけど
結局のところそういうことではなく、ずっと向き合えるべきものだし、
向き合っていくべきなんだと思うし、それは発信し続けたいこと。
自分でも何かはわからないけど、それを表現したいものって多分皆んなにもあると思うけれども、
やっぱりその熱量とかその情熱とかね、今の時代にこそやっぱり
もっともっと伝わってほしい言葉にできないものが、ちょっと今の時代にはかけている。
情報が多い、故に欠けている部分。
自分に向き合って気がつけば、どこからともなく
言葉で伝えたいことがたくさん湧き上がってくる時がある。
こうやって書くことのメリットは、残せることだったり
実際に会わなくてもいろんな人に発信し続けられること。
展覧会やイベントを通してだけではなく、それも大切なこと。
だからいろんなもので伝えていきたいと思う。
逆に言うと、書く技術によって熱量や信念を持って書いてる風に見せることができるし、
今の時代AIも発達してきている。
でもその人の体験とか、その人の経験っていうのはそういうところからは
垣間見えないものがあるってことは自分は経験しているし、その違いがわかるつもりでいる。
やっぱり自分で自分に向き合ってこうして
今書いていくということが、ますます重要になっていくと思う。
その価値を自分は噛みしめている。