立体作品の原点(3) – 原風景に根差すもの –

続き。

「立体作品と装飾の関係性は何ですか」と問われることも多くある。

しかし、自分の学んできたインテリアをそのまま訳すと

室内装飾品という言葉になる。部屋を飾るためのもの。

それは室内のどんなものでも、広い意味で室内装飾であり

言葉が誕生する前の太古から純粋に発達してきたものです。

そのなかでも、自分は賑やかさや彩りを与えるものとして

紋様や飾りの造形としての装飾に関心があった。

自分がその装飾性を追究したいと思った原体験。

装飾とは何かと問われると、幅が広すぎて人それぞれ指すものが違ってくる。

でも、共通するのは「何かに付け加えられた」装飾であると言う事。

それと、「付け加えざるを得なかった動機」があると言うこと。

そこはどんな装飾にも当てはまっていて過去に作られた歴史的な装飾にも言うことができる。

何か付け足さざるを得ない位、特別なものであると伝えるための印が装飾であり

何らかが特別であると認識して、付け加えようとした人間の心の持ちようにも興味を持っていった。

学部時代、無意識に付けていたものは、意識しなくても装飾になっていたものだった。

でも、わかってくると、付け足さざるを得ない程の動機に向き合うようになりより自分自身がわかっていった。

自分自身のスタイルは、装飾的であるという事から

なぜ装飾を付け加えるのかと言う、その疑問に意識がフォーカスしていった。

多分それは、より原始的な問いであり、太古の人類も向き合ってきたことなんだと思う。

現代人の自分が、なぜ今に装飾を施すのかと言う問いに向き合ったとき

より、人間の本質的なところと、自分自身の原体験に向き合わざるをえなくなった。

なぜ自分が装飾的で細やかで美しいものを目指すのかというのは、自分の育った環境にあった。

それは当たり前に自分のなかにあって今でこそ気づいたことだが。

木や花に溢れた、林の植物の中で育った自分は、無数の葉や花がいつも身の回りにあった。

草花を植えたり、野菜を収穫する楽しみや面白さや、純粋さや好奇心が満たされる毎日を過ごしていたからだと思う。

そう。土の匂いや、花の香りや、動物たちとの戯れが自分の一番深いところに、

感性と言う目に見えない形で大きく育てられていったんだと思う。

自分は幼い頃から、小さな草花を見て、本当に美しく思ったり

大切に愛でて感情が目まぐるしく動くような感受性の豊かな子供だった。

それは、大人になって色んな人から聞く話からもわかっているし、あの子供時代の煌めいた美しさは今でも忘れない。

続く。

花盛りの庭の景色。撮影日 2021.9.19