作品について

立体作品の原点(3) – 原風景に根差すもの –

続き。「立体作品と装飾の関係性は何ですか」と問われることも多くある。しかし、自分の学んできたインテリアをそのまま訳すと室内装飾品という言葉になる。部屋を飾るためのもの。
作品について

立体作品の原点(2) – 装飾の奥深さ –

続き。今まで大学の作品には、自然と花のモチーフが登場していた。生活に関わる道具を作るところで、機能性よりも、自分は装飾性を意識していた。装飾性を追究し続ける人はあまりいなかったから、影響されやすい自分はそこに影響されて追究するということに
作品について

立体作品の原点(1) – OBJECTRUM –

OBJECTRUMという立体作品は、自分が作品と呼べるはじめての作品となった。そこから自分はアーティスト活動が本当に始まったと思っている。それは自分の原点に向き合って、心から本当に自分自身が表現できたと思っているし、
日々思っていること

大人の感性、子供の心で作りたい(3)

作品とともに成長する。人間関係や色んな出来事が影響しあって自分が大人になれたのだから、その大人の心を持ってみれば今になって人との対話を通して成長して「色んなこと」が感じられるようになったんだなって思う。
日々思っていること

大人の感性、子供の心で作りたい(2)

大人の壁。一見、大人は純粋に感じたものを表現できると思うかもしれないけれどなかなかそうはいかない。なんでかと言えば、プライドや防御したいという気持ちや過去の体験が引き出されたり、受け入れられない。頑固さもあったり。そういうものが純粋に感じたものにくっついてきて
日々思っていること

大人の感性、子供の心で作りたい(1)

大人の感性を持っていても、子供の心で作品を作りたいと思った。それは、自分の目指すところでもあるし、大人って常識に縛られていったり他の人と合わせようとしたり、社会性を身に付けようとしてそれが結果的に創造的な活動をするときに障壁になるということは、
日々思っていること

心と身体が繋がっている時に無限の可能性を感じ取ることがある

自然のある環境や、多くの画材に囲まれた生活をしているとそのすべてを思う存分に生かしきれているのかどうかわからなく時がある。それは何かと言うと、逆に思う存分に描けている時は体と心が満たされている時。
感じたこと

作品も自分自身も自然の一部

改めて全て地球上の出来事のほんの一部なんだと思った。特に地球規模の出来事になるとそれは、もう自分達の抗いようのないことだから備えておくことしかできないけれどでも、起きたことを忘れないで語り継がれていくこともしないと
作品について

立体作品の制作過程から、ドローイング作品が生まれた

立体作品を作る前には、すぐに沢山のスケッチをする。沢山のスケッチとドローイングは頭のなかで思いついた「形」だから、頭のなかに思いついた「形のその先」を自分は作っている。ドローイングでは本当に何百という形を描きとめているけれど、
浮かんでは消える

なかなか話したいことに到達しない

なかなか、本当に話したいことに到達しない。なんでなのかな。自分の頭の中にどんなものが溢れていてこれから「何かを伝えていかなきゃいけない」って言う事の前に、
日々思っていること

語り継いでいくということ

幼い頃から色々な体験をしてきたからこそ語り続けることができるし、それは語り継いでいかないといけないものだって自分は思っているところが大きい。だから、SNSとかそういう情報媒体じゃなくてもどういうところにいても、過去の体験などの話をすることが